いくつかの雑感

私事ですが、いや全部私事です、逆にこういうブログに私事じゃないこと書く人ってそんなにいるのでしょうか、11/21(月)15:00-ミーティング@事務所3F、みたいな…slackとかでやれよ…、とにもかくにも私事でして、今日はお酒を飲まずに寝ると決めたので、眠くなるまで、暇な一日のなかでぼんやりと考えていたことを書いていきたいと思います。

 

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日本語には「よきにはからえ」という言い回しがあります。 比較的身近なところで言うと、時代劇なんかで、お殿様が家来に対して「その件は、君に裁量を与えるから、大きな問題のないように適当に処理しておいてください」という趣旨の指示を出すときなんかで見かけます。

私の上司氏も、わりあい鷹揚に、この「よきにはからえ」的な指示をよく出す方であったのですが、そんな感想を、しばしば自分の身の回りのことについて抱いています。「よきにはからえ」

常識(と想像)の範疇のなかで、物事が大過なく進んでいれば、私はそれ以上期待するものはありませんし、結構なことでございます、ということです。

 

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いきなり話題をはじめますが、ここで、たとえば、大学受験の世界史の勉強をするとして、フランス革命について理解を深めようとします。

・イギリスでは初期の産業革命が進展

テュルゴー、次いでネッケルが財務総監に就任→改革は頓挫

・シェイエス『第三身分とはなにか』刊行

・久しぶりの三部会招集

・球戯場の誓い

バスティーユ牢獄襲撃

・フランス人権宣言

これらの単語(概念)を、一問一答の形式で

(Q.〜はなにか? A.〇〇(単語)というような)

覚えることは可能ですし、そういう問われ方もしますから、この一問一答の勉強で得点できる問題も実際にあると思います。 この、Q&Aに対応する単語を覚える理解のしかたを、ここでは""1. 一問一答式の理解""と呼びます。

次に、先のフランス革命(の序盤)の例でいうと、

この当時のイギリスは英蘭戦争に勝利し、さかんになった植民地貿易、また初期の産業革命を背景とした生産力の向上から、ゴリゴリの輸出攻勢をやっているよね。これでフランスの産業も大打撃だし、飢饉もあるし、ネッケルとか何やってるかわかんねーし、シェイエスの冊子が理論的支柱となって第三身分ブチ切れだよね、三部会やります、身分毎に1票の議決法だと貴族と聖職者が結託すれば法案通しまくりじゃん、は〜キレた議場出ますわ皆テニスコート集合ね、バスティーユって武器あるらしいし襲撃しようぜ、アメリカとか最近思想的にいい感じらしいじゃん〜

というように、先の""一問一答式の理解""とは違った、個々の単語や概念を相互に関連付けて理解するやり方があります。詳しいことは分かりませんが、たぶん「三部会の招集」と「球戯場の誓い」は本当に関連がある出来事だと思います。三部会が招集されて彼らが議場から追い出されなければ、ヴェルサイユ宮殿の球戯場に集まる理由もないですからね…

こうした、関連付けた理解のしかたを、ここでは""2.関連付けた理解""と呼びます。

で、1のやり方には限界があるから、2のやり方で、なぜそうなったかをちゃんと分かったほうが、理解は捗りますよ、というのが、よく聞く話だと思います。私が先ほどうろ覚えで出来事を並べる際も、

「なんか、三部会で集まって、で議決方法でモメて追い出されて球戯場行くんだったな」

と、前後関係を思い出していました。 ここで思うのですが、関連付けた理解というのは、必ず、ベースとなる関連付けた理解が先に必要なんですね。先の例で言うと、第一身分がどういう人らで〜とか、飢饉が起きると何がまずいのか〜とか、三部会ってどんな場所なの?ということの理解です。囲碁で石をおいていくようなイメージです(囲碁は私ルール知らないのですごく頓珍漢なこと言ってるかもです)。

という中で、""1.一問一答式の理解""の価値を改めて見直したほうがいいのでは?というのが一つのテーマです。勉強というのも、受験や資格試験、または仕事のやり方を覚えたりバスの運転ができるようになる、というのが全部ではないですから、もっと、日常で知らない単語などを目にしたら、とりあえず概要だけググって何についての話かだけざっくりと確認することを繰り返していたら、点の連続が線であるように、いつしかそれらは互いに関連を持った理解のひとかたまりになるのではないだろうか?と思ったのです。

ちなみに、東大の大論述ではフランス革命の経過を詳細に書かせるような問題なんてまず出ないので、この辺はすっごく適当にやり過ごした記憶があります。この話は以上です。

 

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前言を撤回して、やっぱりお酒を飲もうか迷っています。 さて、なつかしい感覚、というのがあります。実家近くの冬しか営業しない焼き鳥屋の匂い、だとか、何年前に夜行バスで京都から新宿に帰ってきてバス降りた直後に吹きつけてきた冷たい風の肌触り、とか。人それぞれにあると思います。 で、往々にして、その感覚というのは、けっこう鮮烈に当時の心境を思い起こさせるものだと思います。

でして、最近、同じことの繰り返しで日々に沈滞を感じていたものですから、一昨日は遠出して、一日かけて電車で春日部、大宮、川越、所沢を周ってきました。結論から言うと、とても気分がよかったです。埼玉で何をしていたかというのはここでは重要ではないので省きますが(実際、買い物くらいしかしていませんで…)、遠出は運動不足解消もありましたが、過去の自分の感覚にアクセスすることが最大の目的でした。

それぞれ、友人が住んでいる、興味本位、ラーメン屋がある、女の子とお祭りへ、元カノの実家、子どもの頃に連れて行ってもらった、等等の理由で、一度は通ったルートで行ったことのある場所でした。

一例です。春日部駅から野田線に乗り、大宮駅で下車すると、駅中心地へ行ったり、あるいはJRへの乗り換えのため、東武構内の割と長い通路を歩くことになります。そして、大宮で野田線を降りて通路を歩いていると、クシャミが出そうになるように、既視感がむずむずと湧いてきました。

(当人がこの記事を読んでいないことを祈りますが、まぁ大丈夫でしょう…)

それは、ある年の10月の中頃、私は暑がりなのでモコモコした長袖を着るとすこし汗ばむような時期、

「お父さんに会わせたい」ということで、元カノのお父様と食事をしに行った、その帰り道での感覚でした。そのことに気付いた瞬間に、当時何を食べたとか、お父様がどういう人だったとか、元カノと話した内容だとか、そういったこれまで忘れていたことを一気に思い出しました。

個人的に、この一連の記憶は全体を通して考えると結果的に良い思い出にはならなかったので、複雑な心境はありましたが、とにかく、この「過去の感覚にアクセスする」試みはここで一つの大成功をみました。なんでしょうね、ドラクエ7を未プレイの方には伝わらない例えで恐縮ですが、謎の神殿で石版をはめて過去の世界に行くじゃないですか、ああいう感じのことをことをしていたわけです。

野田線の元カノはアレな例でしたが、このようにして、懐かしさを伴って思い起こされる一連の空間のなかに、自分がほんとうに好ましいと思える(それが何であるか、日々の暮らしにおいて言語化することって中々ないのではないでしょうか?)感覚の諸要素が眠っているような、そんな気がして、皆さんにもあると思うんですよ、仮にこれをお読みの方が私と同年代であるとしますが、「10代の素敵な景色」みたいな記憶がいくつか。

私の場合ですと、

「高1の放課後、数学の問題を解きながら、○○君(同級生)と"ちんこ"についての話で盛り上がった」(←これ本当にしょうもなさすぎる)

「水戸に行ったときに常磐線から見た広大なすすき野のような何か」

とか、何があったかなぁ、都内某所の地下1F〜2Fがぐるってなってる飲食街みたいな建物のテーブルで△△ちゃん(元カノ)と生きるとか死ぬとかそんな話をしたり、◇◇(当時仲の良かった友人)ら4人と公民館借りてバスケしたり、☆☆ちゃん(だいすき)と一緒に電車乗ってお喋りしてた時間がいちばんきらきらだったなぁ………など…… とか、色々あると思います。

今日の昼過ぎだったか夕方だったかに、駅の近くの暗い通り道を歩きながら、上の方を見て、

「なんで世の中こんなしょうもない人がのうのうと生きてるんだろう」

「なんでこんなしょうもない人に気を遣ってあれこれ考えなきゃいけないんだろう」

「世の中、こんなしょうもない人がのさぼって、しょうもない人に気を遣う人がいたら、仕方がないなぁ」

「べつに僕がそんなに面白い人間とかそういう話じゃなくて、でも、こんなつまんない人としてこんなつまんなそうな人生やったら、僕なら絶対に発狂して死ぬと思うわ」

「なんかこう、もっと、守りたい保ちたい照らしたいような人の美徳のためにエネルギーを使う人生をやらんと、しょうもないよなぁ」

などと考えていました。

幸せってなんだろう?よりは抽象度を下げて、本質的に自分はどんなものに価値を感じる人間なのか?ということを探ろうとするとき、先の「記憶の旅」は大きなヒントになるのではなかろうか、ここ3日くらい、そんなことを考えています。

 

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上の記述で、人様をつまんないとか、自分なら発狂して死ぬとか、まぁ散々言ってしまったのでいくらか考えてみます。私見を。

こう、たくさんいる人間を引き出し(デスクとかについてる物を収納するあれ)として分類してみると、引き出しが大きい人がいれば小さい人もいて、多い人も少ない人もいる、また、引き出しの中身が多い人とそうでない人がいて、ガラクタがたくさん入っている人もいれば、どの内容物もきらきらしている人がいる、中身が入ってない人もいる、といった感じでしょうか。

仲良くやっていけるか、相性が合うか、とかそういう話もあるとは思うんですけど、これはコイキングリザードンって一般にどっちが強いですか?ということで、相性云々で片付けるのもこれはこれで乱暴な話である気がします。

人間、ある意味では、叩けば音が鳴る木琴とそう変わらないものだとも思います。自分の言葉でものを考えて、自分の言葉でものを喋る、そういう人と過ごす時間の長い人生を、私は望んでいます。

 

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3:34 あんまり眠くないです。

私は夢を見るのが好きなんですが、寝ているときに見る夢と、こうなったらいいのになと夢想する夢、どちらの夢も「dream」の語が充てられるのって、面白いなってたまに思います。

書く手が止まったので今夜はここまでにいたします。おやすみなさい。皆様よい夢を。