花見の場所取りという仕事

 

4月のことだから、先月になるが、先輩の男性から「次の日曜は休み?」「昼間から飲むか?」とLINEがあった。先輩というのは、厳密には先輩ではないのだが、私の以前の職場では彼がそのようなポジションにいたので、また彼が私のことを「俺の後輩」と何度か言っていたので、便宜上そのようにする。今回のキーパーソンであるので、以後、Aさんと表す。

 

そういった、仕事関係の人たちの飲み会の予定であったのが、どういう流れか、とにかく私の知らないところで「上野公園で花見をしよう」という話に変わっていった。そこで当然の流れとして場所取りをする人員が必要になり、私がその役割を担うこととなった(されていた)。

仕事での関係だけでいえば、べつに無理にAさんの要求に応える必要はなかった。ただ、現在の職場に私を推挙したのがAさんであったので、私は基本的に彼の頼み事を断ることはなかった。お茶したり、かわいらしい案件の代理人としてサインしたり、飲み会に女の子を呼んできたり。花見の場所取りも同様であった。

 

数日後、Aさんがどこからか大きなレジャーシートを持ってきて、場所取りの私が受け取ることになった。

「コロナ明け初年だから、企業の新入社員が場所取りをやってるぞ。ここでしょーもない場所しか取れなかったら、使えねえ奴だって評価されるんだろうな」

なるほど。私は一般的な企業勤めの経験がないが、そんな昭和みたいなことをやってる連中が今でもいるのか、大変だな。と勝手に思っていたところ、Aさんは続けて、

「そのへんの企業の社員とオメー(お前)では格が違うから、場所取りくらい余裕だろ?」

と私に言った。たしかに。

東京大学とか上智大学に進学して、真面目に就職活動をして、みんなが名前くらいは聞いたことのある大きな会社に入って、そんで何を生産してるのかも分からないような仕事をして、助手席に座ってるジジイに運転中に殴られたこともなく、資本主義でずるをする側にまわって、社会貢献だのやりがいだのテキトーなことほざいて、ボーナスなんて貰いながらヌクヌク生きてるような連中と、自分とでは、格の違いは明らかだろう。

 

それから、Aさんは「女子グループの隣」「カワイイ女子外国人グループの隣」に陣取ることが望ましい旨を私に伝えて帰っていった。このおじさんもこのおじさんで大概である。あまりにも最悪なおじさんなので、逆に好感を抱いてしまった。

 

花見シーズン真っ盛り。私のミッションは日曜昼間の、よりにもよって上野公園の、場所取りである。私は前日の夕方になって、ホームレスに場所取りのバイトを頼むといくら掛かるのか、真剣にスマホで調べていた。相場は1万円以上かかるらしく、自分でやったほうがいいと考えた。

また、お花見のシーズンともなると、徹夜での場所取りを防ぐために、上野公園は夜間封鎖となることがわかった。私の結論は

「寝過ごししないために、前日から徹夜し、家から始発で上野に行き、場所を取る」

であった。

 

ふだんは買わないエナジードリンクを近所のコンビニで調達して飲んだ。あまり興味のないYouTubeの動画を眺めながら3時、4時と過ぎていった。

日曜だったが、午後から別件で仕事があるのでスーツを着て、始発の山手線に乗る。

「花見といったって、酒飲んで駄弁るだけじゃねえか。桜の木の下である必要がどこにあるんだ、馬鹿じゃないのか。もはや桜に対しても失礼だろう」

こんなことを考えていた。車内の風景は覚えていない。上野駅で降りる。雨が降っている。公園を小走りする。目的の場所に着いた。男性の二人組、男性一人、あとは私だけ。大勝利である。のはいいものの、雨はどんどん強くなる。問答無用でブチ込まれたお花見LINEグループに、Googleマップのスクショを貼り付ける。既読はすぐにつかなかった。広げたレジャーシートの上で、パンツまでずぶ濡れになった。

そうして寝れもせず(寝ていると浮浪者のような扱いになり、警備員に追い出されるらしい)待っている間、あたりを眺めていて気付いたのは「花見の場所取りというのは、だいたい男がやらされている」ことであった。チー牛風の男子大学生が場所を取り、ずいぶん経った頃に先輩の男女がやってくる。シートの上の主人公がチー牛から先輩に代わる。残酷な風景だと思ったね。チー牛学生は私に雑巾を貸してくれた。君はきっと偉い奴になるから、頑張ってくれ。心のなかで彼にそう告げた。

 

4時間が経ったころ、Aさんが爆笑しながらやって来た。辺りの芝生の区画はもう足の踏み場もないくらいに、人とシートで埋められていた。

お花見自体は順当に盛り上がり、昼過ぎに上司氏と私は別件があって退席した。その後で、女子外国人グループや、同郷の女子大生が来たりしたらしく、Aさんからは大満足そうなLINEメッセージがいくつか届いた。よかったねって思った。

 

 

4年くらい前、仕事中、私は車を運転して田町駅に向かっていたのだが、道を間違えて浜松町駅に着いてしまったことがあった。助手席に座っていたジジイが

「バカヤロッ」

と言って、拳で私の頭を殴りつけてきた。けっこう痛かった。

「最近の奴はカーナビを見るから、地理が弱くなる」

とジジイは私に何度か言っていた。私がカーナビを一切見ずに運転するようになったのはこのときからの癖である。

それから3ヶ月くらい経って、今度はジジイが運転していたところ、あきらかに道を間違えたことがあった。あれ、おかしいな、などと言っている。助手席に座った私は、心のなかで

「道を間違えた運転手は、助手席から殴られるんだよな。このくそジジイ、ぶん殴っていいか?」

と2回ほどつぶやいた。20代のうち、誰かをぶん殴ってやろうと最も強く思ったのはこのときだった。それは実行には移されなかった。自分は大人になったと感じた。

ジジイは今も元気でいるらしい。もう私が運転する助手席には座らないでもらいたいが、元気でいてくれとは思う。もっとも、私が東京で誰かを乗せて道を間違えるなんて、二度とないだろうけど。

 

私と同じようにスーツを着て、レジャーシートを抱えながら足の踏み場もない芝生の上をウロチョロするお兄ちゃんが何人かいた。新入社員だろうか。しばらくして、彼らはどこかへ消えていった。

花見の場所取りは、バカでもできることである。そのバカでもできることを、人に言われてやってるだけで、わりあい有難がられたりするものだ。そのへんの企業の社員と私とで、格の違いがあるとするなら、私はすくなくとも「バカ」であることが保証されていて、そのへんの社員はおおかた「バカ未満」であることだ。バカのほうがえらい。バカ未満の、かしこい皆さまにおかれましては、ジムにでも通って、MBAでもなんでも取って、なんだか知らんけど、自己実現とやらをしてくれ。あと、これはアドバイス、言われたことくらいやりなさいね。

君たちが私と肩を並べる日を楽しみに待っている。

 

女の子とポケモンをやるということ

 

さて、早速ですが、皆さんはゲーム「ポケットモンスター」シリーズをご存知でしょうか。深く内容に触れるわけでもないので、プレイしたことがない方でも理解できる話になると思いますが、ものすごくざっくりと説明すると、"ポケットモンスター(ポケモン)という生き物を捕まえ、仲間にし、集め、育てて、他のポケモンと戦わせながら旅をする、RPG"です。今から何年前の話でしょうか、往時の少年、および一部の少女を夢中にさせたそのゲームを、私もプレイしていたのです。

ある程度年齢がいってくると、人間、新しいことに関心を抱くのが難しくなってくるようで、いまだに私はYouTubeで実況動画を眺めながら酒を飲むのですが、その中で思ったことを今回はひとつ。

 

 

私がはじめて女の子と一緒にポケモンをプレイしたのは、私が小学校3年生か4年生の頃でした。同級生で、保護者同士も若干の接点があった彼女とは、何度か対戦して、負け越していたように記憶しているのですが、ルビサファから持ってきたエアームドを中心とする、結構シブい構成のパーティが印象的でした。

小学生が複数人でポケモンをプレイする際、多くの場合、公園でやることになって、経験した方もおられるのではないでしょうか。あの頃の1時間と現在の1時間では、通貨の価値が変わるみたいに、同じ長さの時間には思えないものですよね。

彼女はその後、中学受験が忙しくなって、放課後に私と遊ぶこともなくなっていきました。私の住んでいたような郊外のベッドタウンは、中学受験をする層としない層の階級差がより顕著に表れるような場所でありまして、それは当時小学生であった私にも、

「電車で隣の駅の塾に通う子たちは、みんな一軒家やきれいなマンションに住んでいるんだな」

と素朴な感想を抱かせるものでありました。

彼女はこんど結婚するらしい、と、当時の同級生から聞きました。特段の感慨はありませんが、私が淡い想いを寄せていた人が、これから幸せにやっていってくれたらいいなと思います。

 

 

中学、高校と、私はわりあい自分と似たような男の子たちとつるんでいた記憶があって、彼らとちまちまとポケモンをやったりしていました。深夜アニメを観て、流行のライトノベルの貸し借りをし、そういうおたくっぽい普通の学生生活の一環にありました。

 

それから時が流れて、私が浪人生活を終え、大学に進学した頃にお付き合いした女の子と、やはりポケモンをプレイしたことがあります。とはいっても、もう真剣にポケモンをやる感じでも全くなく、単に、彼女の家に遊びに行った際、ゲームボーイアドバンスと、ポケモン(エメラルド)のカードリッジを見つけて、懐かしいなぁと思いながら数十分ほど触っていた、くらいでした。私の中ではけっこう「想い出…♡」なワンシーンだったのですが、それの何が楽しかったのかといえば、言葉にするのが難しいのですが、単に久々に女の子とポケモンの話をしたのが楽しかったのかもしれません。

 

 

それから数年が経って、大学時代に最も仲良くしていた同級生の女の子と、ふたたび連絡を取って、たま〜〜〜に遊ぶようになりました。スカイツリーに行ったり、東京タワーに行ったり、都庁に行ったり(←高層建築物が好きすぎるだろ)、お付き合いしていない間柄の若い男女がそんなところばかり何度も行くのか、というような感じで。

去年の末に彼女と飲むことになり、仕事の話などして、2軒めに行き、気が付いたら終電を逃していたことがありました。お互いにだいぶ飲んでいたのですが、彼女が顔が真っ赤になるまで飲んで、結局した話というのが、

「私はポケモンのルビー/サファイアが大好き」

というものでした。

それを聞いていて、私は彼女を、心の底から、

「やっぱり、ほんとうに、可愛い子だな」

と思いました。

 

BW2までやってたのかな、メガシンカのある環境はよく理解していません。ポケモンでいうと、ラプラスとかトドグラーみたいな女の子に、のしかかりをされて、まひしたい…とずっと思っています。

たまには同世代の子とポケモンの話をするのもいいかもよ、という、今回はそういうご提案でございました。

風邪引いたら中本でしょ

 

最近、仏教のお坊さんと会話する機会があったのですが、あらためて考えれば考えるほど、自分って特に悩みがないんだな、って思いました。それでも、死んじゃったらどうしよう、と考える夜はたまにあって、お坊さん曰く「死について考えるのは執着」とのことだったんですが、そんなことを言ったら執着なしには資本主義すらも成り立つわけがなく、それならば現実的に執着ありきでよい人生にしたい気がして。

私は最近、再就職に成功したのですが、会社員になると年1で健康診断とか受けたりするわけです。で、健康診断を受けるからには色々と考えることもあるわけです。糖尿病とか怖いじゃないですか。で、糖尿病におびえるのも執着であると言われれば、いやそんなこと言ったって糖尿病は怖いじゃん…としか私は言えないわけです。怖いじゃん。お坊さんごめんね。

 

おそらく、当ブログをご覧になっている方の大半がTwitter(@Elipomice)経由だと思うのですが、日常や仕事のことをツイートしたりブログに投稿したりすると、なかなか書くことがなくなってきて、それはそれで困ったものですね。

たとえば日常、私の今日あったことについて書こうとすると、客観的事実だけでも

「遅めの時間に起きて、仕事の合間に知人から借りた5000円を返済した。あまりやってはいけないことだと思いながら、お金に余裕がなかったので、昼食をコンビニのカップ麺に置き換えたところ300円足らずで済ますことができ、よくない学習をしてしまった気がする」

などとなり、いかにも面白くないものになってしまいます。これは単純に、大半の人の平凡な日常はそんなに面白おかしいことに満ちているわけではなく、つまらないことを書いて面白く読ませる文章力のある人も稀である、というだけのことで、それ以上特に考えることはありません。

また、仕事のことを書くにしても、たとえば、看護師をやっておられる方が仕事について書いたとしても、世の中にはたくさんの医療施設があり、そう個人を特定できそうなものには思えないのですが、私の場合は本職がものすごくニッチな業界でして、登場人物をイニシャルまで明かすと、確実に見る人が見ればわかってしまう世界ですので、これは書くことができません。

 

たとえば、「恋人とのやり取り」「上司とのやり取り」などという場面は、人類史上けっこうたくさんありそうな気がします。人が言葉を獲得すれば、パートナーと何を話すか、という問題は当然発生するでしょうし、聖徳太子だって推古天皇に「この趣味の話題って触れていいやつだっけ?」などと考えたりすることもあったことでしょう。けれど、その気になればSNSでお金をかけずにインターネット回線とスマホと指一本で誰でも全宇宙に意見を発信できる時代、というのはここ数十年の話でありますから、SNSでどうする、というのはまだまだ人類史の集積知が追い付いていない事柄なんでしょうね。ここで、殊更に人類史の奥行きについて考えたいわけでもありませんが、我々ってけっこう未知なコミュニケーションを手探り手探りで日常的にやってるもんなんだよね、大変なのかもね。という雑な感想があります。

 

というのは全部「ブログに書くことがないぜ!」という話で、いくら書いたって仕方のないことなのですが、これをお読みになっている皆さんにも、こうやって、何もない日常から生まれる、いつ書いてもいい内容でも、ブログを書いてほしいな、というのが私の希望です。これを読んでる人がTwitter経由であるという前提でものを喋るのにはいくらか抵抗があるのですが、フォロワーさんがブログを書いてリンクを上げれば、少なくとも私はそれを読んでます。「こういうツイートをする人が、140文字以上では、このような文章を書いて、それはどういう人なんだろう?(会ったことがあればなお面白い)」と、非常に関心深いものなのです。

というわけで、皆さんもブログを書きましょう。フォロワー365人が年1でブログを更新すれば毎日読めるじゃん、という計算を私はやってます。積極的にチャットGPTから職を奪っていきましょう。

 

本当に書くことがないので、はてなブログからのお題「体調が悪い時にしてることある?🤒」に素直に回答します。

私の場合は「セブンイレブンのミネストローネとか、果物の入ったヨーグルトとか、とにかく健康に良さげな雰囲気のものを口にして、悲惨なときはUberで中本の北極やさいを注文して、とにかく家で横になってYouTubeなどを見まくる」

です。はてなさんもブログサービスを謳ってるんだから、せめてもうちょい内容のある回答を期待できそうなお題を提示しろや。

こんなのに回答せんでいいから皆さんとにかくブログを書きましょう。だって、ネトストしてる女の子がブログ書いてたらマジ歓喜案件っしょ?で、別に私だってネトストされてない(多分)し、女の子でもないですが、自分が書いたことで誰かが何かを考えれば、確実に世の中に影響を及ぼしてるわけです。

それが生きてるってことですからね。

寝起きにとやかく言わんでくれ

眠れぬ夜をお過ごしの皆様、こんばんは。

本日も、ブログを書いていこうと思います。書くということについて、特に書くことがあるから書く、というのではなく、ただ書き続けることにも意味があると思っています。

この投稿をご覧の方の大半が、私のTwitter(@Elipomice)経由であると思いますが、フォロワーの皆さんにも是非、どんな内容でもいいのでブログをたくさん書いていただけると嬉しいなぁ、と、日々切望しています。

大学を離れて(卒業してませんが…)もう5年近く経ちますが、社会人をやって、バイトをして、無職をして、といった暮らしの中で、自由に文章を書く、という機会が極端に少なくなったように感じます。皆さんもそうであるかと存じます。たとえば、私が直近でペンを持って紙に何かを書いたのは、ちょうど一週間前の、仕事関係でデザインについて説明するためのイラスト作成の際になりますし、意識的に何かを書く習慣をやるということが、5年後や10年後に、きっと期待していたよりも大きな実りとなってその恩恵を感じられるのではないかと思います。

私には経験がないのですが、文通ですとか、交換日記とか、やってみたいなとたまに思います。 何も書くことがないときは、さっきの私のように、140文字以上でなんとなくそのとき思ったことを書けばいいと思います。少なくとも私は、その更新を心待ちにしております。

 

・現在の私の状況

時刻:01:59(執筆時)

明日の予定:6時前(今からおよそ4時間後)に家を出る

やること:愛のお仕事 

現在の状況:夕方から4時間ほど昼寝をしてしまい、追加で睡眠を摂りたいが眠れない

事態改善に向けた取り組み:37度のウォッカとオレンジジュースを3:2で割ったお酒(おいしい)を眠剤と共に急ピッチで飲み、早寝を目指す

 

以下、愚痴といいますか、問いかけたいこととして、本稿のメインテーマになります。

今朝の話なのですが、朝7:30過ぎに電話で起こされて「出勤してください」と言われ、靴下を履いたりしていたところ、しばらくして「確認してみたところ、やっぱり今日は大丈夫みたいなので、来なくていいです」との連絡を受け、二度寝をし、

正午頃に別件で「急に予定が空いたので、今から食事しませんか?」と再び電話で起こされ、不機嫌にしていたところ、それを詰るようなことを言われ、納得のいかないところがありました。

 

朝起こされた件については、こういったケースは初回であって「モー、ちゃんと確認してから起こしてくださいよ〜」くらいの感想しかなかったのですが、別件で正午に起こされた際は、本日二度目の不本意な強制覚醒であり、また、寝起きの不機嫌を詰るようなことを言われたので、ちょっとムッとしました。と、こういうことがありました。

これについて、別にブチ切れてるわけでもないのですが、ちょっと思ったことがあったといいますか、

まず、私の感想として、以下のものがあります。

・「あのね、僕はきょう朝も起こされてて、しかもそれをあなたに言ったよね、なのにも関わらず、明らかに寝ている状況(起きていればすぐLINEの返信をする人です私は)で、起こすとわかって電話したよね?慮ってほしいというのは僕のわがままかもしれないけど、こうもなじられると、僕はあなたをそういう「少しでも詰るところがあれば、被害者ポジから無限に殴ってくる人」みたいに認識するけど、異論はない?」

・お金もらって仕事でやってるなら、上司に「なんでこんな時間まで寝てるの?」とか言われても、まぁ「すみません、耳の痛い話でございます…」といった感じだけども、なぜ、特別に果たすべき責任のない休日の起床時間について、あなたから早起きマウントをされなければいけないわけ? と、

これは単なる愚痴なのですが、今回お伝えしたいことは以下のことになります。 ↓

・私は寝起きに機嫌がよくないことは認めるが、世の中に「寝起きの際に、人間の本性が表れる。寝起きで機嫌が悪い奴は、ほんらい性格の悪い人間だ」みたいな風潮があって、それがムカつく。寝起き機嫌悪いマン日本代表の私に言わせてもらえば、 「寝起きに機嫌が悪い奴ってのは、いつも起きてる間それだけあなたに対して言いたいことを我慢してるんだよ、で、ふだんは他人の堪忍袋に甘えておきながら、突然それを針で突っついて破裂させといて『ホラ、お前はやっぱりそういう奴なんだろ?』とドヤ顔で申してくるのは、絶対に違くないか???」 ということですね。

「酒が人間の本性を明らかにする」系の、居酒屋の便所に貼られた警句のようにそんなことを言われては、とてもたまりません。

別に、朝早くから出勤で、それで上司に電話で起こされるんだったらいいですよ、ァー起こしてくれてありがとうございます(寝ぼけ)、としかならないわけです。

ただ、睡眠についてはどうしても個人差があって、それを根性で乗り切れるというなら、その理屈に則って私も 「ほら、挨拶回りのついでに今みんなで蕎麦屋に来てるんだからさ、何が蕎麦アレルギーだよ、そんなの甘えだろ」 なんて、アレルギー持ちの人に言ったっていいわけですよね?いや絶対そんなことしないですけども。

という一連の話は、別に、睡眠時間や活動時間に多様性を、という話がしたいわけではなく、単に、あなた方から見れば非道徳的な惰眠を貪っている午前でも、私からすれば仕事の関係ないプライベートの時間で、その時間をお金に換えようと思えばできるのに、敢えてそうしているのだから、午前の惰眠は「私がお金を出して買った時間」なのだから、どうしてそう大上段にあなた方はものを言うのかなぁ、と疑問に思います、ということが言いたかったわけです。

私は起きている間に我慢しているのです。それは単に「人から嫌われたくないな」くらいの気持ちからそうしているだけかもしれませんが、私が当然持っている自身の権利についてネチネチと述べられたら、それはみんな嫌でしょうから、お互いの利益のためにも私は我慢をしているのです。 それを、寝起きのわずかな隙に、煽るようなことを言って、

「ホラ、お前はそんなこと言う嫌な奴じゃないか」

なんて話を進められたら、それは、そのときは(今は寝起きでないので、何も思わないですが…)、やっぱりムッとするところはあったわけですよね。

なので、しゅきしゅき♡(大好き)なポンにゃニョコ♡(女の子)と同棲して、 「ねぇ〜、おきてよ〜、かまってぇ〜〜〜(そう言って寝ている私の上体を揺さぶる)」 みたいな起こされ方が望ましいのですね。そうしたら、私も 「起きるから、ぎゅってして、おっきさせて〜(私を起き上がらせるように、両手を差し出す)」 などと、おそらく、なるわけです。

まぁなんか、眠いときにいきなり起こさないでほしい、というのも、そういう感覚のすり合わせを通して互いに理解を深めていく過程で何かを味わうのも、それはひとつ若いうちにしかできない愛の一形態でありましょうから、ね〜。アラサーが近付くと色々そういうのやるにも大変なんですよ。 若いうちにしかできないことってありますからね。

お泊りの延長からはじまる半同棲や、長文LINEの応酬としての文通、そのあたりから始めてみましょう。DMでもくだされば、起きていたらね、すぐ返信の方させていただきますので、ご一考いただけると幸いです。

ぜんぜん眠くならないので、ぼちぼちウオッカを飲み干してしまいそうです。ウォッカのオレンジジュース割りは甘いおつまみ(ポッキーとか)が好きなのですが、甘いお酒でも、甘いおつまみを合わせたいのと、そうでないって、ありますよね。雑感すみません。 寝るのが好きなんですよ。ちょい寝れたな〜くらいの睡眠の深さで、夢は一つだけ覚えてるけど、それがエモくてさ〜、という夢の見方をして。

 

3時間後には家を出ます。愛のお仕事、朝早いので………

 

それでは皆さまごきげんよう。素敵な夢を。おやすみなさいませ。

それはそれとしてダイアリー

 

予定は複数あってあちこちを飛び回っていたが、日記に何かを書くには、何を書いたらいいかわからない、そんな一日を今日は過ごしました。

 

きのう夜更かしをして、朝から真面目な用事(ここには書けない)があって、そのあとに入院した知人のお見舞いに行って、バイクのお店に行って、ドライブのような格好で友人とラーメンを食べて、アダルト系コンテンツを閲覧しながらの下半身の部分的なマッサージをしていたところ、0時を過ぎて緊急で書き物をすることになって、入浴して今に至っています。

明日は、銀行に行って振込をやってから、行かなければならない会(ここには書けない)があるので、そこにスーツを着て真面目に参加して、借りた本も返さなければならないので帰りに図書館に寄って、また何か読む物を借りる予定です。

 

無職といえば無職なんですけども、真面目な集まりに行かなきゃいけないとか、なんらかの会があるとか、無職の堪能というわけにもいきませんが、やらなければいけないことなので、それらを淡々とやって、日にちが経つのが割合はやいというわけです。

無職なのにスーツを着るのも不思議(?)ですけども、私は首やお尻周りが太かったり脚が短かったりするので、あんまりスーツを着たくないんですよね。女の人ってその辺もっと融通がきくというか、「極端に華美でなく、高島屋でショッピングができる程度の服装」だったら許されたりするじゃないですか。そのあたりは羨ましいなぁと。

首が太くて胴長短足なんだから男の人はスーツだけでなく和服も着ていい世の中になってほしいです。肖像画とかで見る西郷隆盛とか勝海舟とか、みんな和服を着てるじゃないですか。武田双雲とか立川志らくがスーツ着てるとこ見たことないじゃないですか。だから、あんな感じで私も集合写真にうつったりご挨拶や説明会に行けたり、できたらいいんですけどね。「スーツを着たら、とりあえずまともに見える」と言う人には、スーツが似合わない人のこともちょっとくらい考えていただきたいものです。

 

私の祖母はプチ日記のような生活の記録をつける習慣がある人なのですが、読んでみると(見せてくれる)、「柿をもらった」「風強い日」「○○(家族)来る」といったメモ書き程度で、それくらいのことだと私はTwitterでやっていますので、ではブログに何を書くのでしょうね?

(ここには書けない)といっても、別になんか悪い事してるわけでもないし、とりあえず今日なにか言いたいことがあるとすれば「スーツ着たくないなぁ」しかないんですよね。

 

ほんとはもっと何か考えてることも実際あるわけですよ、

わたしと知人Aと知人Bがおり、AがBを嫌っている場合、極力Aに対してはBの話ってしないべきだよねってこの間思いました、とか、

会社の設立で公証役場に行って定款オッケーもらって法務局行ったあとにハンコ作って口座作って、ってときに、どのタイミングでどんな書類が必要なんだろうか?とか、

きょう朝からサンドイッチ(かなり小さい)3切れしか食べてなかったけど21:00くらいまで支障とか感じなかったし、じゃあ人間って思ったよりそんなにたくさん食べなくても案外普通に生活できていけるのでは?

とか。社会的に許容される体臭と期待されるエチケットの範囲とは?、丸の内で小一時間をつぶすときの快適な場所とは?杉並に住むなら今川らへんに住みたいなぁ、タワマン文学とか歌舞伎町文学とか言ってるけどみんなあれを文学って呼ぶことに抵抗はないんですか?

 

それらはまぁ、日中にやらなきゃいけないことを全部終わらせて、夕方が長く感じられるような、そういう日に晩ご飯食べながら独立した記事を書きたいなぁ、って感じです。

今回も何も面白い話のない記事でした。すみません。最近は夜空が澄んでいて、今日なんかは半月が綺麗ですから、月に免じてお赦しを(↔月に代わっておしおきよ)

 

ということで、おやすみなさいませ。良い夢を。

 

 

神の手の中にあるのなら

今年はブログをたくさん書こうと思います(決意表明)

 

きのう友人と話していたとき、「ウェブライター」という単語が登場して、そういえば、世の中には文章を書くことをメインのお仕事としている人たちがいるのだなぁ、と思いました。 どんな文章がよい文章であるのか、ということは分かりませんが、ここ5年くらいで、振り返ると自分はかなり様々な種類の文章を「代筆」してきたなぁと思いまして、これが割と新垣隆さん(佐村河内守の作品を書いてた、ちょっとオドオドした雰囲気の音大の先生、ピアノめっちゃ上手い)状態でして、また代筆もやってみると楽しい作業であったので、ランサーズとか登録しちゃおっかな☆(既に登録だけはしていたのですが)とか、そういう気分になりました。

で、まぁ、前向きな気持ちでブログをたくさん更新したいな、と思ったのと、私はブログを書くという文化が結構好きでして、Twitterで見かけるみなさんもどんどんブログを書いてくださいよ〜〜〜と熱烈に希望しているもので、まぁなんか、書きましょうっ 

 

・1月の話、私生活

 

晦日から三が日にかけて日雇いのバイトをしておりまして、合間を縫って実家に帰り、祖母に「昨日も今日も日雇いの仕事をしてきた」と同情を誘ったことで、お年玉5000円を貰うことに成功しました。労働者以前の問題として、孫としてどうなの???と心は痛みましたが、お米を買って、まぁ本当に慎ましい生活の足しにしているので、ありがとうございます。ということでいいのではないかと、良心を宥めたりして…… 日雇いのバイトをして、小学校や高校の同級生に会ったり、友人と麻雀をやって(七対子で2巡目でリーチをかけた回がほんとうに冴え渡った判断で、麻雀の教科書のようなプレイができましたが、親のリーチドラ3で全部パーになって、これが人生なんだな、と、麻雀というボードゲームに、古代中国人の深遠な人生観を感じずにはいられません…)、浅草でそばを食べたり、財務官僚の話をしたりと、まったりと余暇を過ごしました。

昔、仲の良かった人が、今でも元気そうにしているのを見ると、なんとも嬉しい気持ちになるものであります。とても嬉しい。

ふだんは、正しさとは何か?善とは何か?美とは何か?ということを考えながら淡々と働き、家に帰り、カット野菜を添えた決まりきった夕食を摂り、ひとつ考え事をしてから眠るような、祈りに包まれた生活を送っています。

そのさなかにおいて、やりたいことをやるのが大人であり、やるべきことをやるのが紳士である、と。男に生まれたからには紳士として死にたい、無心でやるべきことをやり、あとは自分の手の届かないところで何かが決定して、現実をただ受け容れて、恬淡と生きる、というようなことをしています。 やらなければいけないことがあるので、まずそのお金を用意立てして、そして、やることをやったら、今年はなにか面白いことをせにゃあなぁ、という気分になっています。 みんながみんな、人生を前に進めていて、そのなかで、誰かがやらなきゃいけないことを私がやらなければならない、という状況がしばしばあり、それは夢の実現でもなんでもないわけです。これを主体性がないと言うのなら、それで構いません。

老いた船乗りシンドバッドが最後の航海へ繰り出すことを決意したような、そのような心境で。 あえて今日だけ総括するなら、本当にとても良い一日でした。

 

神の手の中にあるのなら

その時々にできることは

宇宙の中で良いことを決意するくらい

メロン、その他

ずいぶん前、今から5年以上前のことになりますから、自分も年を取るわけだなぁと月並な感想があるわけですが、今から5年以上前に、お付き合いしていた女の子がおりました。これは特に何かセンシティブな話題ではないので、安心して読み勧めていただければと思います。

 

私は当時、実家で暮らす大学生でした。それで、土曜の昼過ぎ頃に、その女の子が私の実家に遊びに来たときの話です。そのとき、私の両親は不在で、彼女は私の家にお土産としてメロンをひとつ持ってきてくれました。その日の夜、私の母がメロンに気付き、これは○○さんが持ってきてくれたんだよ、と説明すると、貧乏性なのか(我が家の食卓にメロンが並んだこと、片手で数えるくらいしか記憶がありません)、それともお土産という心づかいに感激したのか、母はえらく感動していたようでした。 私が実家を出て一人暮らしを始め、実家に戻ると、いまでも

「あの、メロンの子は、お元気?」

と、しばしば母に聞かれます。 母が私の交友関係についてどのようなイメージを抱いているのか定かではありませんが、元気かどうかで言われると、彼女はあれから今に至るまで普通に生活しているようなので、とりあえず、

「元気みたいだよ」

と返事しています。彼女と、その当時のように親密に(高頻度で)連絡を取らなくなった今も、母は私にそう訊ね続けています。

これは素朴な疑問なのですが、ハタチを過ぎた息子が、自分の不在時に、家に女の子を連れてきた、というときに、いったい女親というのは何を考えるものなんでしょうね?

もし、私と彼女が、一切連絡が取れない状態になって、FacebookTwitterなどで互いを認識できなくなって、生きているうちに永遠の別れを経験することになったとしたら、私の中ではそれなりに(覚えている範囲で)彼女の存在が残るわけです。一方で、私の母の中では、彼女は 「息子の友達(?どういう認識なんだろう?)であり、我が家にメロンを持ってきてくれた、いい子」 としてのみ、そのことを覚えている範囲で、存在が残ることになると思います。 生きているうちに生きた証を遺す、という考えに則れば、今後めちゃくちゃ何か起こらない限り、彼女は私の母の中で「メロン」の記憶オンリーの、完全ないい子としての存在であり続けるわけです。

こうやって、良い想い出だけが残る人間関係というのは、やろうと思ってもなかなかできることではないので、その点において 「あぁ、キズのない美しいハッピーエンドが、一つあったなぁ」 と、なんとなく安心したような気分になるのです。

ただ、彼女もとうぜん私の母の中だけの存在ではなく生き続けるわけで、なるべく幸多い暮らしを送っていてくれると、私は嬉しいですね、という、ただそれだけの話でしかありませんが。

 

上の話にも少し関連するのですが、付き合っている人と自分の親が会う、というシチュエーションが、これまで全く無かった気がしています。どうすべきだったのか、ということとは別にして、です。 私としては、付き合っている以上は、その人のことが好きなのであり(純情恋愛的な観)、その人をもっと知りたいのであって、すると、ご両親に会ってみたい気もするのですが、その人がどんな家で、どんな街で育ったのか、という、その環境の息遣いのようなものを知りたいと思うようになります。生まれてから二十歳になるまでそこに住んでいたら、たとえば、自宅の目の前が平坦な道なのか急坂なのか、一方通行の道なのか相互交通の道なのか、そういうところでも人格形成に影響が出てきそうだと思うのです。

 

これ書いてて「実家までストーキングして深夜1時にうちの実家のインターホン押してきた女の子」のことを思い出しました……… 過去のことを思い出そうとすると、ときどき、記憶にモザイクがかかって「ここから先の記憶へアクセスしないでください」と干渉されているような感覚を体験することがあります。 われわれは普段、覚えていることに意味を見出すものですが、忘れることにも意味ってあるんですね………

 

夜も遅いので、寝落ちるまで昔のことを思い出したりしたいと思います。 昔のこと昔の話ばかり、だから年を取りたくないって言ってるんですよ………

 

それでは良い夢を。おやすみなさい。