電撃、再び

 

暗いゲームセンターで彼女を見た。強烈な痺れが、脊髄を伝って頭へと上っていった。次の角を左へ曲がりながら、もう一度彼女の横顔に目をやった。ふたたび電流に打たれ、私の脳は一瞬にして、色が変わるまで焼け焦げた。それは遠い過去に覚えのある感覚だった。焼けた脳が、あの日のことを思い出す。

 

 

今日の朝、いつもよりゆっくり目を覚ました私は出勤して、昼過ぎくらいまで働いた。今日やるべき仕事をやり終えたのと、夕方に個人的な用事があったので、そのまま仕事を切り上げて、電車に乗って、ある都内の街へと足を運んだ。現地にて無事に用事を済ませたものの、まだ何をするにも中途半端な時間帯であったので、とりあえず近くの書店を散策して、それからなんとなく近くのゲームセンターに入った。

私はアーケードゲームをやる趣味が多少あり、このゲーセンに来たこともあった。入口を抜けて、目当てのゲームに向かうそのとき、ひとりでUFOキャッチャーをプレイする女の子が目に入った。

それは一瞬のことだった。目に写る景色に閃光が走り、1億ボルトの電撃が私の脳天に突き刺さった。一言でいうと、あまりにもかわいかった。あまりにもかわいかった。勿論これで終わりではない。意識を失いかけるも、高機能でならすクアッドコアCPU搭載の私の大脳は、0.08秒で次に私がなすべきことをバックグラウンドにて判断し、それを実行に移すよう指令した。

歩く速度を落とし、彼女の後ろを通りすぎる。そしてまた、UFOキャッチャーのぬいぐるみを何気なく物色するようにして、彼女の左右の横顔を視界に入れる。

彼女はセーラー服を着ていて、女子高生であるようだ。清潔な布で拭かれたような眼鏡をかけていて、あごまわりが少しほよっとしている。開発がなされていない中央アジアの自然のような目元をしていて、鼻の穴の形が整っていた。ロッテの人気商品「雪見だいふく」を思わせる、色が白くて、すべすべしており、柔らかそうで、冷たそうな印象の肌の持ち主だった。そして、彼女の制服にはどうも見覚えがある気がした。私は第3次特別攻撃作戦を開始し、服のデザインを確認した。

雙○高校だ。

例の私の高機能大脳は、私の過去の記憶にアクセスした。映像と、感情が、同時に展開される。

 

平成何年か、10年以上前のことか、あれは少し蒸し暑い季節のことだった。当時の私は受験生であり、東京大学への進学を希望していた。「せっかくだから」というような理由で、駿台予備校のお茶の水校に赴き、東大実戦模試なるものを受けた日のことだ。

他の模試と同じように、受験番号のようなものが事前に割り振られ、座席は指定されていた。私の左に座った女の子が、○葉高校の制服を着ていた。受験票にもそう書いてあったので間違いない。電撃が若い私を焼いた。とっても可愛い女の子だった。あらゆる所作に品があった。彼女は血統書付きの人間です、と言われたら、それを疑い無く信じたことだろう。肉付きが豊かな頬が、りんごのような赤みを仄かに帯びていた。全体的になんとなくほよほよとしていて、愛らしかった。

数学の試験時間である。不真面目かつ不出来な大学受験生活を送った方なら理解できると思うが、難しい数学の問題が出ると、本当に暇なのだ。文系であったから、数学だけで試験時間が100分与えられる。樹形図を書く問題が出題されなければ、だいたい30分もすれば何もできることがなくなる。この科目の満点は80点であり、私の目標得点は5点であった。あとはお祈りか、考え事か、あるいはお昼寝をするしかない。私は左に座った彼女の回答用紙を眺めた。回答の参考にするのではなく、ただただ暇だった。用紙には、パソコンの「手書き風フォント」を手首から出力したような、彼女の均整のとれた美しい文字が、何行かにわたって数式を連ねていた。きれいだった。満点は取れないにしろ、40点とか取る人ってこんな感じなんだ、と感心しながら眺めていた。あの蒸し暑さと、彼女の横顔と、その制服のデザインを、はっきりと覚えている。世の中にはまだまだ見たことのない、素敵な女の子がいるのだという、とても明るい体験であった。

 

 

そして思うに、学校法人雙○学園は女子教育の"正解"を行っている。文部科学省はスーパー・サイエンス・ハイスクール構想なんかやめちまって、千代田区六番町に100億円をばらまけばいい。そうしたら日本は今よりうんと素敵な国になるだろう。

 

UFOキャッチャーに挑んでいた彼女は、それから音ゲーのコーナーに移動して、あまり流行っているとは聞かないSEGA音ゲーをプレイしていた。後ろで短く結んだ彼女の髪が、リズミカルに縦に揺れていた。私は私で目当てのゲームをやって満足したので、家に帰ることにした。

あの東大実戦の日からどれほど経ったか、私はMARCHの一角を占める某二流私立大学に進学し、ドロップアウトし、そのまま紆余曲折を経て、望外の立身出世を果たした。まさしく東京は闘いの場であった。閑静な高級住宅街のマンションに住み、不自由のない暮らしをしている、が、それに満足していていいのか。だいたいまだ東京大学にも進学していないというのに。

 

天使のような女の子、というものがある。私にとってそれは、未知の世界のきらめきを知らせ、この世でまだやらなければならないことがあると私に伝える天の使いであるところの、雙○高校の彼女らであるのかもしれない。

 

ノクターンおじさん

https://x.com/nankostreetpf/status/1903318273589964876?s=19

ストリートピアノで練習をする人について、X上で話題になっている。それに対して「いいじゃないか」というような反応が多い印象を受けた。関連して、私の個人的な思い出について、ひとつ書こうと思う。

 

中学生の頃、私は電子ピアノが欲しかった。88鍵の、タッチレスポンス機能(鍵盤を叩く強さに応じて、音色や音量が変わる機能)がついた電子ピアノが欲しかった。新品で買おうとすると、少なくとも7~8万円はするもので、当時そんなお金は持っておらず、両親に買ってもらえる見込みもなかった。仕方なく、私は実家近くの家電量販店に頻繁に足を運び、売場に展示されている電子ピアノを眺めては、無料のカタログを持ち帰ったり、たまに真ん中のラの鍵盤を押したりしていた。

そうして家電量販店通いを続けているうちに、私はあるピアニストに出会った。彼は50過ぎくらいの、おとなしそうな風貌の普通の男性で、売場の電子ピアノでいつも、ショパンノクターン2番を練習していた。私は彼を「ノクターンおじさん」と命名して、話し掛けることもなく、時折やや遠くから眺めていた。

ノクターンおじさんは、とにかくショパンノクターン2番の練習だけをしていた。一度だけ『乙女の祈り』を弾いたのが、私の知る例外であった。いつもノクターンの一部分を、何度も何度もゆっくりと、音を確かめるように繰り返しなぞっていた。彼は全体的にトリルを苦手としていた。最後のカデンツァの部分、右手でシシ♭ドラ シシ♭ドラ シシ♭ドラ~と繰り返す部分が鬼門であったようだ。思うに、きっと自宅に鍵盤の軽いキーボードしかなく、特に3・4・5の指の筋力が弱いのだろうか。

ノクターンおじさんとはじめて出会ってから、出会ってといっても私が一方的に認識しているだけなのだが、数ヶ月経って、ある平日の夕方に売場で彼を見た。その日の彼はいつもと違った。

有名な、アウフタクトの6度跳躍から始まるショパンノクターン2番。彼は最初から最後まで、私の前ではじめて、通しで演奏したのだ。ノクターンおじさんは、きわめて真摯なピアニストである。その演奏スタイルは、感傷を意識的に遠ざけるものであった。テンポをほとんど揺らさず、ペダルの無駄踏みも一切ない。それでいて機械的な印象は全くなく、一つ一つの音に対して、迷いながら常に向き合っていた。彼にとって、ピアノを弾くという行為は、人前でスピーチをするというより、寝床で考え事をする類のものに近いように思われた。

例のカデンツァに差し掛かる。私は「おじさん、頑張れ」と願った。彼は目を閉じて、彼にとっての、難所を弾ききった。そしてすぐに、甘い夢の終わりのような短いコーダを迎え、ノクターンおじさんの演奏会は幕を閉じた。Bravo!たくさんの思いが胸に去来する、実に素敵な演奏だった。私の頭のなかには、ピアニストたちの椅子が並んでいて、ホロヴィッツの隣にルービンシュタインが座っている。そして、ルービンシュタインの隣に、ノクターンおじさんが座っている。

ノクターンおじさんが演奏を終え、唯一の聴衆は心からの拍手を捧げた。おじさんは、とっても照れ臭そうな顔をして、私に「ありがとうございます」と言い、うやうやしく頭を下げた。この名ショパン弾きと私のやり取りは、これきりであった。

高校生になって、お年玉を貯めて、ハードオフで売っている中古のローランドの電子ピアノを買った。実家を離れても、また別の電子ピアノを買った。特に音楽に関心のある人には見えない(のだめカンタービレの再放送は観てた)私の母が、「あれ練習しなよ、浅田真央ちゃんの曲」と言って、馴染み深いフレーズを口ずさんだ。楽譜を買って、しばらくして、私はショパンノクターン2番を弾けるようになった。リストが「これが私の曲であったのなら」と称賛し、ショパン自らもアンコールを求められると好んで弾いたという名曲である。

 

ストリートピアノの件については、特になにか思うこともない。公共空間にピアノを置いて「演奏してもいいですよ」ということには、さまざまな狙いがあるだろう。今回はたまたま、設置者が意図しない結果となったケースであるという、それだけの話に見える。家電量販店の電子ピアノでの練習などは、もっと歓迎されないに違いない。ただ、私は時折、ノクターンおじさんの名演を思い返しては、あれをもう一度聴けたらなぁ、と、しばしば夜中に、思うのである。

しゅきしゅき♥️なポン☆にゃニョこ(←若い女性のことです)と何をするか

 

この記事は、

しゅきしゅき♥️(;すきすき)

ポン☆にゃニョこ(;女の子、若い女性)

と、何をしたいか、について述べるものであります。

このテーマの記事を書きたいと最近思っていたのですが、今日は勤務中にソリティアをしていて、明日は多少忙しそうなので、いま書くことにしました。

なお、「私がどのような女の子を好むか」については、過去の記事にもございますので、是非この機会に遡っていただければと思います。

 

【シチュエーション】

・背景

彼女とは、明治大学の入学式で知り合った友人の関係である。偶然、隣の席に、ひとりで座っていた彼女に話し掛け、やや意気投合し、勇気を振り絞ってこちらから連絡先を訊ねてみたところ、彼女は快諾し、さらに偶然なことに同学科であった彼女と、サークルの新歓を回ったり、同じ授業を履修したりと、親交を深めるうちに、1年生の1学期が終わろうとしていた。なお、実際の私は2浪を経て明治大学に入学したので、同級生の多くは年下である。

・いつ

大学の帰りに

・どこで

明大前のベローチェ

※明大前にベローチェはなかったはず。単に、私がベローチェに対して良い印象を抱いているだけであり、ここでは実在の店舗について述べるものではない

・なにしてる

お茶している

 

入店から20分が経過した。彼女は、お砂糖の入った甘い飲み物、たとえばメロンソーダやココアのようなもの、を注文しており、それに3分の1ほど口をつけている。私と彼女を隔てている、ほのかにむし暑さの残る店内に置かれた木製の丸い卓の上には、水滴の付着したふたつのグラスと、先の授業の教科書として私が彼女から借りた、有斐閣とかの書籍が置かれている。

 

私「つかれたポヨね」

"ポヨ"とは、私と彼女のやり取りにおいて用いられている語尾である。たとえば、この数時間前のドイツ語の授業で、"今日は、たくさんの内容を扱って、みんな疲れていたね"という場合は"つかれたね"、疲れた表情の彼女に言葉を掛ける場合は"つかれたポヨね"、といったように、"ポヨ"は、客観的事実というよりも、より話し手の実感が込もっている場合に通常用いる。

彼女は答えた。

「つかれたぽよね」

ぽよ、の"ぽ"は、aとeがくっついた形の記号で表されるような音で発せられる。ピンと来ない人は、10歳のときに飲んだ友達の家の麦茶の味を思い浮かべてほしい。

彼女の大福のようにぽってりとした手首に添うピンク色の腕時計の針は、どこか不安げに16時15分を差していた。エアコンの室外機が幅をきかせる屋外と、明確に隔てられた屋内の手狭な一角に、あいまいな感傷を抱えたふたりは置かれていた。

「ポヨポヨポヨだね」

ここでの"ポヨポヨポヨ"を意訳するならば"僕は・週末も、月末も、年末も、特に何をするでもないし、また何をするわけでもないことについて、特段何の感慨もないのですが、それはさておき・ご機嫌いかが?"という内容になる。耳慣れた表現でいうところの"How are you?"だ。

2年ほど先のことを考えても、私は何も思い浮かばなかった。また、私と彼女が所属している小さなサークルは、そう面白いものではなかった。この頃の私は、週に2度くらい、新宿駅がここからもっと遠い場所にあったらよかったのにな、と、彼女の隣の座席に腰かけて、京王線にちょっとだけ不満を抱いていた。

彼女は、私の言葉に、"なぁに?"と言いたげで、苦笑に似た表情を浮かべつつも、松の葉のようなつややかな前髪に左手で触れながら

「ぽよぽよぽよだね~」

と、どこか一安心したような口調で返した。

ふいに、置かれたストローの紙袋を意識した。今この瞬間から、あと30年くらいはぽよぽよぽよしていたいと、心から思った。平成二十何年の、仲夏であった。

 

…ぽよぽよぽよ

 

私とぽよぽよぽよして下さる女性の方を募集しております。自薦・他薦は問いません。当Twitterアカウント(@Elipomice)のDMにて受け付け中です。本年も何卒よろしくお願いいたします。

中央大学の女の子

 

もうずいぶん前になる、私が大学生だった頃の話。

 

学生時代のうちかなり長い間、私は学習塾でアルバイトをしていて、その後輩のような感じの講師に、中央大学に通う、小柄で細目でいかにもリクスーを着ていそうな感じの女の子がいた。彼女は見た目がなんとなく中国の人っぽい雰囲気だったことから、男子生徒から「チャイナ」と呼ばれてからかわれていたりした。

代講などの授業の引き継ぎ以外で、そう同僚とコミュニケーションする必要もない職場で、彼女とは雑談をする程度で、LINEも交換しないような、ふつうのバイト同僚の関係だった。

 

その中央大学の彼女と知り合って1年半くらい経った頃、22時頃まで働いていて、予想外のどしゃ降りの日があった。私は傘を持ってきておらず、駅まで歩いて帰らなければならない。さぁどうしたものか、と考え込んでいたとき、

「駅まで送っていきましょうか?」

と彼女が私に言ってきた。このバイト先の近くに住んでいるらしい。断る理由もなかったので、ご好意に甘えて、駅まで相合傘をして帰ることにした。

15分くらい一緒に歩いた。坂を下って、駅が近づいてきたとき、当時何を思ったのか全く分からないが、私は彼女に

「僕が将来、エリートとしていーっぱい稼いで、あなたを養ってあげる。あなたは毎日、1億円のマンションで昼寝でもして、外車を乗り回す生活をするといいよ」

という内容のことを言った。

人をからかう目的で思ってもないことを真顔で言う、なんてことを、私はあまりしたくない(行儀が悪いので)と、今も、おそらく当時も、私は思っていて、ちょっと仲良く雑談するだけのバイト同僚に、どうしてそんなことを言ったのかほんとうに分からない。

そしたら、中央大学の彼女は、

「1億円のマンション、いいですね。でも私は、自分の力でいーっぱい稼いで、高級なマンションに住んで、外車でもなんでも買いますからねっ」

と返事したあとに、私にあかんべえをして、それからいたずらっぽく笑った。その仕草が、ひたすら可愛かった。

来週も来月も、彼女は変わらず雑談をする同僚であり続け、その年の終わりに、私が違う校舎に配属されることになって、それきり彼女と会うこともなくなった。

 

何年も経って、いま彼女が何をしているのかはわからない。私はというと、大学を辞めて、エリートとは違う人生をやっており、そんなにいーっぱいは稼いでおらず、女の人をひとり養うことはなんとかできそうだが、1億円のマンションに住めるほどの収入はない。外車はおろか日本車も持っていない。自分の車を持ったこともない。

ただ、そんな暮らしのなかで、「中央大学」という、自分とはあまり関係のない学校の名前を目にすると、私はあのどしゃ降りの日の帰路での、彼女のいたずらっぽい笑顔を、一瞬の鮮烈な記憶として、思い起こすのである。

羽化不全

 

どうやら今、世間はお盆ということになっているらしい。どうやら~らしい、と書いたのは、お盆ということが私の身にまだ染みていないからである。

土曜、日曜と、仕事で私が責任者となるなんらかのイベントが開かれて、それはなかなかの成功に終わったのだが、おかげで今月は顔を出そうと思っていた親戚の集まりには行けなかった。

月曜、今日である。私の家にふたりの男が来て、久しぶりに昼まで寝て、そのうち転職活動で内定を得た男を祝うためにピザを注文する。そして彼らが帰ったあと、ここぞとばかりに睡眠負債を返済し、20:00頃に目が覚める。友人から「結婚した」との報告があった。おめでとうといった感じ。

 

みんな、人生をちゃんとやっているな、と感じた。6月には職場の同僚が結婚した。7月には一つ年下の友人に第二子ができた。どこかの遠い国で戦争をやっていようが、国会議員が裏金を貯えていようが、あるいは景気が悪かろうが良かろうが、それらとはほとんど関係なく、私の周りのみんなは、ちゃんとやることをやっているのである。

 

土曜に親戚の集まりが開かれたようで、仕事で行けなかったのだが、これは行きたかった。行きたかった、というのは、毎回のように仕事を理由に不参加としているので、お盆に行っておけば次は正月まで行かなくてもいいだろう、という判断である。

親戚の一人として嫌いではなく、それぞれ悪い人のように思ったこともないし、誰かと喧嘩しているわけでもない。地元に素朴な愛着を感じているし、東京の私の家から行くのも物理的にそう苦ではない場所である。祖母も年寄りなので、のちのち後悔のないよう元気なうちに会っておきたくもある。

ただただ私が親戚の集まりから足が遠のいているのは、そこに曖昧な辛気臭さが漂っているからである。

祖母が健康診断か何かの数値の話をし、叔父は介護の資格を取って私に事業所を継げと言う。叔母は食品添加物の害毒をときどき力説し、酒が進んだ父はYouTubeで見た山本太郎の話をする。母はすべてを諦めたようにTVを眺め、弟は部屋の隅で鉄道車両の絵を描いている。

ちなみにこの集まりは毎月のように開催されている。私はこれに年3回行くのがやっとなのだ。

あるいは、昔に見ていた、今より健康だった頃の祖母がいて、引き寄せ系のセミナーにまだ通っていない叔母(夫妻)がいて、れいわ新選組の話をしない頃の父がいる、あの頃の家族のイメージを、私が崩したくないだけなのかもしれない。

 

私個人の暮らしとしては特段何かあるわけではない。東京のいいところで独り暮らしをし、人生の偶然で立ち入った業界でそこそこ凄そうな仕事をしている。欲しいものは買えるし、食べたいものも食べられる。今月は湯水のようにお金を使った割に、次の給料日を意識することもない。

健康で五体満足で、変な宗教をやっているわけでも、何かのノルマに追われるわけでもない。美容院を変えようかな、いいベッドが欲しいな、とか、そんなことが目先の課題である。あ、健康で五体満足とかいったけど、このあいだ久しぶりにラジオ体操をやったら「両腕を真上に上げる」動作、いわゆるバンザイの姿勢を取ったときに肩がなかなか上がらなくて痛かった。

こういった暮らしが私の頑張りによるものであるとは全く感じていなくて、平均的な若者の生活実態は知らないが、日本はまだまだ豊かな国なのだと思う。

 

みんな、人生をちゃんとやっている。その実感だけが強くある。私はこの「みんなと同じことを、ちゃんとやる」というのが、昔から一切できなくて、私の幼稚園時代の思い出は、みんな、ができない、ちゃんと、ができない、という出来事の塊だけである。

小学生の頃、今まで遊んでいたお友達が、日能研SAPIXに行くということで遊べなくなる、ということがよくあった。変な色のカバンを背負って電車に乗って塾に行く中学受験生がまぶしく見えた。またしても「取り残された」側にいた。出典は知らないが、富野由悠季が「人間の基本は9歳までの、当時は解決方法が見えなかった欲求で、それからは逃れられない。それが何であったか思い出せ」という面白いことを言っていた。

それから20年近くが経った私は、取り残されていた子どもの予後としては、わりあい良好な部類に含まれると思う。それでも、折に触れて、たとえば周りが結婚したりする度に、私は、みんなと同じことをちゃんとやる、ができないのだなと強く感じる。

 

子どもの頃にチョウを飼ったことがある人は分かると思うのだが、チョウが蛹から羽化するというのは壮絶な試練である。さっき調べたのが、羽化率、自然界で卵からチョウになってちゃんと飛べるようになる割合は、モンシロチョウで2.0%、アゲハチョウで0.6%であるのだという。羽化がうまくできないチョウは、そのまま死んでしまったり、あるいは羽の形が歪んで、まっとうな生活ができなくなる。可哀想なものを見るのがつらい、という人は検索しないことをお勧めしたい。

花見の場所取りという仕事

 

4月のことだから、先月になるが、先輩の男性から「次の日曜は休み?」「昼間から飲むか?」とLINEがあった。先輩というのは、厳密には先輩ではないのだが、私の以前の職場では彼がそのようなポジションにいたので、また彼が私のことを「俺の後輩」と何度か言っていたので、便宜上そのようにする。今回のキーパーソンであるので、以後、Aさんと表す。

 

そういった、仕事関係の人たちの飲み会の予定であったのが、どういう流れか、とにかく私の知らないところで「上野公園で花見をしよう」という話に変わっていった。そこで当然の流れとして場所取りをする人員が必要になり、私がその役割を担うこととなった(されていた)。

仕事での関係だけでいえば、べつに無理にAさんの要求に応える必要はなかった。ただ、現在の職場に私を推挙したのがAさんであったので、私は基本的に彼の頼み事を断ることはなかった。お茶したり、かわいらしい案件の代理人としてサインしたり、飲み会に女の子を呼んできたり。花見の場所取りも同様であった。

 

数日後、Aさんがどこからか大きなレジャーシートを持ってきて、場所取りの私が受け取ることになった。

「コロナ明け初年だから、企業の新入社員が場所取りをやってるぞ。ここでしょーもない場所しか取れなかったら、使えねえ奴だって評価されるんだろうな」

なるほど。私は一般的な企業勤めの経験がないが、そんな昭和みたいなことをやってる連中が今でもいるのか、大変だな。と勝手に思っていたところ、Aさんは続けて、

「そのへんの企業の社員とオメー(お前)では格が違うから、場所取りくらい余裕だろ?」

と私に言った。たしかに。

東京大学とか上智大学に進学して、真面目に就職活動をして、みんなが名前くらいは聞いたことのある大きな会社に入って、そんで何を生産してるのかも分からないような仕事をして、助手席に座ってるジジイに運転中に殴られたこともなく、資本主義でずるをする側にまわって、社会貢献だのやりがいだのテキトーなことほざいて、ボーナスなんて貰いながらヌクヌク生きてるような連中と、自分とでは、格の違いは明らかだろう。

 

それから、Aさんは「女子グループの隣」「カワイイ女子外国人グループの隣」に陣取ることが望ましい旨を私に伝えて帰っていった。このおじさんもこのおじさんで大概である。あまりにも最悪なおじさんなので、逆に好感を抱いてしまった。

 

花見シーズン真っ盛り。私のミッションは日曜昼間の、よりにもよって上野公園の、場所取りである。私は前日の夕方になって、ホームレスに場所取りのバイトを頼むといくら掛かるのか、真剣にスマホで調べていた。相場は1万円以上かかるらしく、自分でやったほうがいいと考えた。

また、お花見のシーズンともなると、徹夜での場所取りを防ぐために、上野公園は夜間封鎖となることがわかった。私の結論は

「寝過ごししないために、前日から徹夜し、家から始発で上野に行き、場所を取る」

であった。

 

ふだんは買わないエナジードリンクを近所のコンビニで調達して飲んだ。あまり興味のないYouTubeの動画を眺めながら3時、4時と過ぎていった。

日曜だったが、午後から別件で仕事があるのでスーツを着て、始発の山手線に乗る。

「花見といったって、酒飲んで駄弁るだけじゃねえか。桜の木の下である必要がどこにあるんだ、馬鹿じゃないのか。もはや桜に対しても失礼だろう」

こんなことを考えていた。車内の風景は覚えていない。上野駅で降りる。雨が降っている。公園を小走りする。目的の場所に着いた。男性の二人組、男性一人、あとは私だけ。大勝利である。のはいいものの、雨はどんどん強くなる。問答無用でブチ込まれたお花見LINEグループに、Googleマップのスクショを貼り付ける。既読はすぐにつかなかった。広げたレジャーシートの上で、パンツまでずぶ濡れになった。

そうして寝れもせず(寝ていると浮浪者のような扱いになり、警備員に追い出されるらしい)待っている間、あたりを眺めていて気付いたのは「花見の場所取りというのは、だいたい男がやらされている」ことであった。チー牛風の男子大学生が場所を取り、ずいぶん経った頃に先輩の男女がやってくる。シートの上の主人公がチー牛から先輩に代わる。残酷な風景だと思ったね。チー牛学生は私に雑巾を貸してくれた。君はきっと偉い奴になるから、頑張ってくれ。心のなかで彼にそう告げた。

 

4時間が経ったころ、Aさんが爆笑しながらやって来た。辺りの芝生の区画はもう足の踏み場もないくらいに、人とシートで埋められていた。

お花見自体は順当に盛り上がり、昼過ぎに上司氏と私は別件があって退席した。その後で、女子外国人グループや、同郷の女子大生が来たりしたらしく、Aさんからは大満足そうなLINEメッセージがいくつか届いた。よかったねって思った。

 

 

4年くらい前、仕事中、私は車を運転して田町駅に向かっていたのだが、道を間違えて浜松町駅に着いてしまったことがあった。助手席に座っていたジジイが

「バカヤロッ」

と言って、拳で私の頭を殴りつけてきた。けっこう痛かった。

「最近の奴はカーナビを見るから、地理が弱くなる」

とジジイは私に何度か言っていた。私がカーナビを一切見ずに運転するようになったのはこのときからの癖である。

それから3ヶ月くらい経って、今度はジジイが運転していたところ、あきらかに道を間違えたことがあった。あれ、おかしいな、などと言っている。助手席に座った私は、心のなかで

「道を間違えた運転手は、助手席から殴られるんだよな。このくそジジイ、ぶん殴っていいか?」

と2回ほどつぶやいた。20代のうち、誰かをぶん殴ってやろうと最も強く思ったのはこのときだった。それは実行には移されなかった。自分は大人になったと感じた。

ジジイは今も元気でいるらしい。もう私が運転する助手席には座らないでもらいたいが、元気でいてくれとは思う。もっとも、私が東京で誰かを乗せて道を間違えるなんて、二度とないだろうけど。

 

私と同じようにスーツを着て、レジャーシートを抱えながら足の踏み場もない芝生の上をウロチョロするお兄ちゃんが何人かいた。新入社員だろうか。しばらくして、彼らはどこかへ消えていった。

花見の場所取りは、バカでもできることである。そのバカでもできることを、人に言われてやってるだけで、わりあい有難がられたりするものだ。そのへんの企業の社員と私とで、格の違いがあるとするなら、私はすくなくとも「バカ」であることが保証されていて、そのへんの社員はおおかた「バカ未満」であることだ。バカのほうがえらい。バカ未満の、かしこい皆さまにおかれましては、ジムにでも通って、MBAでもなんでも取って、なんだか知らんけど、自己実現とやらをしてくれ。あと、これはアドバイス、言われたことくらいやりなさいね。

君たちが私と肩を並べる日を楽しみに待っている。

 

女の子とポケモンをやるということ

 

さて、早速ですが、皆さんはゲーム「ポケットモンスター」シリーズをご存知でしょうか。深く内容に触れるわけでもないので、プレイしたことがない方でも理解できる話になると思いますが、ものすごくざっくりと説明すると、"ポケットモンスター(ポケモン)という生き物を捕まえ、仲間にし、集め、育てて、他のポケモンと戦わせながら旅をする、RPG"です。今から何年前の話でしょうか、往時の少年、および一部の少女を夢中にさせたそのゲームを、私もプレイしていたのです。

ある程度年齢がいってくると、人間、新しいことに関心を抱くのが難しくなってくるようで、いまだに私はYouTubeで実況動画を眺めながら酒を飲むのですが、その中で思ったことを今回はひとつ。

 

 

私がはじめて女の子と一緒にポケモンをプレイしたのは、私が小学校3年生か4年生の頃でした。同級生で、保護者同士も若干の接点があった彼女とは、何度か対戦して、負け越していたように記憶しているのですが、ルビサファから持ってきたエアームドを中心とする、結構シブい構成のパーティが印象的でした。

小学生が複数人でポケモンをプレイする際、多くの場合、公園でやることになって、経験した方もおられるのではないでしょうか。あの頃の1時間と現在の1時間では、通貨の価値が変わるみたいに、同じ長さの時間には思えないものですよね。

彼女はその後、中学受験が忙しくなって、放課後に私と遊ぶこともなくなっていきました。私の住んでいたような郊外のベッドタウンは、中学受験をする層としない層の階級差がより顕著に表れるような場所でありまして、それは当時小学生であった私にも、

「電車で隣の駅の塾に通う子たちは、みんな一軒家やきれいなマンションに住んでいるんだな」

と素朴な感想を抱かせるものでありました。

彼女はこんど結婚するらしい、と、当時の同級生から聞きました。特段の感慨はありませんが、私が淡い想いを寄せていた人が、これから幸せにやっていってくれたらいいなと思います。

 

 

中学、高校と、私はわりあい自分と似たような男の子たちとつるんでいた記憶があって、彼らとちまちまとポケモンをやったりしていました。深夜アニメを観て、流行のライトノベルの貸し借りをし、そういうおたくっぽい普通の学生生活の一環にありました。

 

それから時が流れて、私が浪人生活を終え、大学に進学した頃にお付き合いした女の子と、やはりポケモンをプレイしたことがあります。とはいっても、もう真剣にポケモンをやる感じでも全くなく、単に、彼女の家に遊びに行った際、ゲームボーイアドバンスと、ポケモン(エメラルド)のカードリッジを見つけて、懐かしいなぁと思いながら数十分ほど触っていた、くらいでした。私の中ではけっこう「想い出…♡」なワンシーンだったのですが、それの何が楽しかったのかといえば、言葉にするのが難しいのですが、単に久々に女の子とポケモンの話をしたのが楽しかったのかもしれません。

 

 

それから数年が経って、大学時代に最も仲良くしていた同級生の女の子と、ふたたび連絡を取って、たま〜〜〜に遊ぶようになりました。スカイツリーに行ったり、東京タワーに行ったり、都庁に行ったり(←高層建築物が好きすぎるだろ)、お付き合いしていない間柄の若い男女がそんなところばかり何度も行くのか、というような感じで。

去年の末に彼女と飲むことになり、仕事の話などして、2軒めに行き、気が付いたら終電を逃していたことがありました。お互いにだいぶ飲んでいたのですが、彼女が顔が真っ赤になるまで飲んで、結局した話というのが、

「私はポケモンのルビー/サファイアが大好き」

というものでした。

それを聞いていて、私は彼女を、心の底から、

「やっぱり、ほんとうに、可愛い子だな」

と思いました。

 

BW2までやってたのかな、メガシンカのある環境はよく理解していません。ポケモンでいうと、ラプラスとかトドグラーみたいな女の子に、のしかかりをされて、まひしたい…とずっと思っています。

たまには同世代の子とポケモンの話をするのもいいかもよ、という、今回はそういうご提案でございました。