20年以上も前の話

きょうは家に帰る最中に、たまたま東京は軽く雨が降っていて、アスファルトのにおいが印象的な夜でした。今回は特に何かテーマ性や意見のある記事でもありません。ご承知おきくださいませ。
家でお酒(ストゼロ、本当はチャミスルが飲みたかったが、昨日ぜんぶ飲んでしまっていた)を飲んで、お菓子(パーティーのお土産)を食べつつ、思い付いたこと、思い出したこと、その他諸々を雑記として、以下につらつらと述べさせていただきます。

そういえば、お昼過ぎになって思い出したのですが、昨日の夜に見た夢は「誰かと複数人でカラオケに行って、Bメロ以降の歌詞を覚えていない曲を、雰囲気で最後まで歌う」という内容でした。始まりからして既にしんどい一日、というのがたまにはあります。

お昼過ぎ、ふと自分の幼少期について考えることがあって、とりあえず当時どんなことがあったか、ほとんど覚えていないながらも思い起こすなどしました。
窓から落下してコンクリートに頭を強打して、母が「死んじゃったのではないか」と思っていたところ、全く何もなかった、とか。当時住んでいた家(the・粗末なボロアパート)を背景に赤ん坊の弟と写真を撮られた記憶があります。

幼稚園、既に大器(発達障害)の片鱗を見せまくりだったようで、集団行動に馴染めない系のエピソードが数多くありました(あ、これ、発達障害の診断されるときに病院に母親呼ばれて喋る内容ですね)。あとは、排水溝にハンカチを落としたりとか、排水溝に傘を落としたりとか、焼きそばパンを頑張って食べたとか、ドラえもんが好きだったとか、親を心配させがちなこと以外は普通のキッズだった気がします。
幼稚園では、周囲の子どもにやけにいじめられていて、教室の隅っこ、掃除用具入れがあるところに追い詰められて、2〜3人(阿部とか田中)に殴られたり蹴られたりしていた記憶が鮮明にあって、これは稀に夢にも出てきます。身体が小さくて、母からはベタベタに溺愛されて、父からは適切に放置されて、家族を離れると隅の方で悲しい気持ちになっていることが多い、心を閉ざしがちであらゆる人をあまり信用してないような、そんな子どもでした。
で、幼稚園教諭や小学校教諭という人種がおりますが、彼ら彼女らも自由な職業選択の結果としてその職に就いただけの普通の人間ですから、とうぜん4歳だろうが8歳だろうが受け持つ児童の好き嫌いというものがあり、普通学級においては往々にして発達障害っぽい児童というのは教職員にも好かれない傾向が明確にあります。

そういうなかで、赤松さん、もしくは赤坂さん、どっちだったっけか?という、人格形成期最大の恩師にして女性のイデアたる方の苗字すらも半分忘れている私の恩知らずぶりは筆舌の及ばないところではありますが、まぁとにかく、その赤松さん(仮)は、20歳後半くらいの割合若い女性の先生で、しょっちゅう他の児童からぶたれたり、親を呼ばれたり、教職員からもあんまり覚えのよくない私に随分優しくしてくれた記憶があります。で、私が「随分優しくしてくれた」と記憶しているくらいですから、実際よっぽど優しくしてくれたのだと思います。幼稚園の廊下でぎゅってしてくれた記憶があります。
私の記憶の中の赤松さんは、ピアノが上手で(5歳の私にピアノの上手い下手など分かる気もあまりしないのですが)、胸に何かワッペン的なものがついたピンクいエプロンのようなものを着ていて、茶髪だった記憶はないのでたぶん黒髪で、背丈とかはわからないのですが、少し(そこそこ)ぽっちゃりした女性でした。顔は覚えていません。当時としては「とっても優しいお姉さんの先生」くらいの認識だったのかな?、と。私の中の"よい女性"の理想像、そのプロトタイプがこの頃に作られました。だって、とっても優しいお姉さんが、ぎゅってしてくれたら、あぁ僕は存在しててもいいんだ、大丈夫なんだって、思うじゃないですか。
卒園の際は、もう赤松さんに会えなくなると思うとずいぶん寂しかったです。チューリップか何かの折り紙の細工かな、それを渡しました。他の感慨は特になかったように記憶しています。

どこに行っても、どこまで行っても、私は「異邦人」のような感覚が、物心ついた頃から常にありました。「他の人」と「自分」は全く別の存在で、たとえ同じものを見ても同じものが見えているという確信がないのです。ただ、今となって思うのは、この感覚はそこまで真実と離れたものではない、ということです。自分がどんな存在であるかも割とどうでもよくなってきた今日までも、私はずっと異邦人だったし、これからもきっとそうで、困るか困らないかでいえば若干困りますが、それよりは今夜の冷蔵庫の中身のほうが懸念事項としての重要度がより高かったり、します。

これはけっこう一般に言えることだと思うのですが、人間というのは、10歳くらいまでに心の底から求めていたものから、死ぬまで逃げられない気が、なんとなくします。私はなんでしょうね、涼しくて暗くて狭い場所とか、文字の書いてあるものとか、電車とか、街の地図とか、とっても優しいお姉さんとか、秋の終わりとか、干し柿とか、そういうのが好きだったなぁ。

私の記憶にある最古の日本国首相は小渕さんです。そのあとの森さんは「なんか、ゴルフとかやって、怒られてるおじさん」という認識でした。私が未就学児をやっていた頃から、もう20年以上が経ちました。赤松さんは元気にしているかな、きっと素敵な旦那さんと出会って(やや前時代的な発想をする人間なので、安易に女性の幸福を結婚と結び付けてしまいがち)、素敵なおばちゃまになっているんではないんでしょうか。苗字も半分忘れちゃっているけど、愛着を寄せた人の現在の幸福を率直に願う点は、私も他の人とそう変わらない気がします。
ピアノが上手で、少し(そこそこ)ぽっちゃりした女の人って、いいですよね。それはずうっと思っています。たとえ太陽が西から昇っても、地中海がぜんぶ干上がっても、横浜駅の工事が終わったとしても、そして今日が世界最期の一日だったとしても、ピアノが上手で、少し(そこそこ)ぽっちゃりした女の人って、いいですよね。お読みの方に、いま何か伝えたいことがあるとすれば、それだけです。もう遅い時間ですから、皆様どうか良い夢を。